「立ち瞑想」で注意の持続時間を大きく伸ばす

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マインドフルネス瞑想は、座って行う「静坐瞑想」でなければならないと思っている方が多いようですね。

私のマインドフルネス瞑想の始まりは、JR中央線の満員電車の中からです。

立って、さまざまな身体感覚と思考・感情が芽生えやすい環境で行っていました。

私の恩師の大田健次郎先生にも勧められており、なかなか時間が取れない毎日の中で、確実に瞑想時間がキープできるため、習慣にしやすかったのです。

からだに評価を交えず「あるがまま」に観る

最近、左右の前腕が痙攣するという日が何度かありました。

パソコン仕事が多かったこともあり、同じ姿勢でいることも多く、前腕を酷使しました。

そんな中で、腕のフェルデンクライスメソッドのレッスンを思い出してやってみたりしてきたのですが、

肘を中心に、回内や回外の動きをゆっくりやってみると、肩関節、鎖骨、肩甲骨への自然な動きの流れから、首へと骨盤へとさらに動きが連動していくのを観察するのが、なかなか面白いです。

立ち瞑想で、足の裏の感覚に注意を向ける

そこで、これまで行ってきた「静坐瞑想」を、「立ち瞑想」にする時間を増やしてみました。

ボディスキャン瞑想的ではなく、純粋に静坐瞑想でやっていることを立ってやっています。

個人的なことになるのですが、

フェルデンクライスメソッドのプロフェッショナルトレーニングコースで、足をテーマにしたセグメントの時に、

いかに日頃使えていない足の裏の部分に気づいて、その部分をより頼りにしていくか、静的・動的な場面でどう力を預けて行くか、劇的な気づきがありました。、

それ以来、「足の裏」の感覚をより頼りにするようになり、立ち仕事なのですが、今は足の疲れをほとんど感じていません。

足の裏にはたくさんのツボや神経がたくさんあって、「第2の心臓」と言われるけど、もんだり、ツボを押してもらってということはあっても、そもそも注意を向けるということはなかなかやっていなかったのです。

そんなプロセスを経て、

日頃のマインドフルネス瞑想の際に、全身の外部(床との接地の感覚)・内部の感覚(重心の移動・緊張や弛緩の状態)を観察できることが増えました。

この感覚ばかりを貪るのは、マインドフルネス瞑想としては本末転倒なのですが、私は結構好きです。
他の作用の観察が嫌いかというとそうでもないし、全体として立ち瞑想がただ好きになっているのだと思うのです。

からだの声を聞くこと

身体感覚に注意を向けることからこそ顕在化する潜在的な意識があります。

「ああ、重心が後ろに来ているなぁ(前に進みたくないのかな)」
「肩が挙上しているなぁ(何と戦っているのかなぁ)」
「立つ姿勢にお腹が柔らかく参加してないなぁ(呼吸、楽にできてる?)」

あああ、自分への気づきがありますね。

そして、ずれた体軸を、足のうらの感覚と骨盤の感覚を頼りに下から順に穏やかに整えたり、

衝動的に修正せず、解剖生理学的な知識に基づくのではなく、ただ自分にしかわからない「からだの心地よさ」を頼りにゆっくり整えたり、

自分を矯正しない、自分の体をコントロールしない、自分の体を人任せにしすぎない、まずは「今、ここ」の自分のからだの声を聞く。

この間、もちろん呼吸の観察もしています。頭の中に起きる「つぶやきごと」は、「思考」「あ、今考えた!」と短く言語化して、また「今、ここ」に戻ってきます。

そんなことをしていると30分があっという間に立ちます。

マインドフルネスやソマティクスの実践がやっていることは本当に地味で地道なことだと思うのです。

だからこんなこと、ブームになんてなるのかしら?と、マインドフルネストレーナーとしては時代を斜めに読んだりもしています。

特に心身のバランスを崩されている方は、からだの緊張から長く座れないという方がいらっしゃいます。

そんな時は、固定観念から自由になって立って瞑想するということも生活の中に取り入れてみてはいかがでしょうか?

意外にオススメですよ。ではまた。

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  • この記事を書いた人

羽利 泉(はりいずみ)

石川県金沢市でカウンセリングや「うつ・不安障害を治すマインドフルネスーひとりでできる自己洞察瞑想療法ー」の講座をしたり情報を発信している公認心理師(国家資格)・マインドフルネス瞑想療法士です。マインドフルネスの実践を通し、心身症状で悩む方のサポートをしています。