わかっていても懲りずに苛まれるおきまりの感情の流れを観ること

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自己洞察瞑想療法の10セッションの構成は、人の成長をなるべくならば無理がなくかつ効果的に促す仕組みになっているなと日々感じています。

特に、葛藤が強い方や精神的にしんどい方々が解放されていく「鍵」が、各セッションにあります。

中でも、第3セッションの鍵である「感情」。
私ごとですが、封印してきた感情に、なるべくあたたかい光を当てては観察するという練習を今もずっと続けています。

通常、瞑想実践会では、個人の感情や思考について立ち入った話はしませんので、それ相応の気づきのシェアで止まっているのかもしれませんが、自己洞察瞑想法のレッスンでは、10か月をかけて、もっと深く自己を理解していきます。

感情は、からだを通して、本当にいろんなことを教えてくれます。

悲しい時には涙が出て、怒りの時には、脈が速くなり、血が上ってくる感じとか、筋肉に力が入っていたり、恐れを感じる時には筋肉が緊張したり、腰が引けていたり。

その他にも、自分の感情に気づく時は、からだに気づく時だなぁと実感している私です。

そんな感情ですが、昂ぶって取り乱したり、陰鬱な気分が長引くような経験をして、封印することが得策だと学習すると、感じることを回避したり、なかったことにしたり、何か別のことに依存したりすることってあったりしませんでしょうか?

そうしているうちに、いつの間にか得体の知れないものになってしまい、逃げたり、注目に値しない情報としてスルーされてしまったりするんでしょうか?

私だけだとは思えないんですけど(汗)

そして、私自身、自分のことを振り返ると、

問題が起きた時に、葛藤したり、頭がヒートアップして、身心が疲弊してしまうというのは、
ある意味「思考」「知性」で解決できることの限界にきていることに気づかないまま、それでもまだ「思考」「知性」に執着している状態なんじゃない?

と思えるのでした。

この第3セッションをクライアントさんとやっていると、感情とは思考が見出す解決策とは、また別の質感の問題解決策を見出す上で、不可欠な情報であることがわかります。

「思考」や「知性」は、優等生に見えても嘘をつくのも上手です。
でも、嘘で取り繕われた解決策なんかに、本当の自分は快く賛同なんてしてくれるもんなんでしょうか?

自己洞察瞑想療法は、第3セッションから感情がどんな風に連鎖していくのかを観察します。
この連鎖が見えてくると、その流れを止めることができます。

自分に特有なパターンがわかれば、変えていくこともできます。

個人的には、

自分の感情に「善悪」や「快不快」と言った「分別」から自由になり、どんな感情も対等に扱い、切り離したり、封印することなく自分の一部として慈しんでいくことができたらいいなぁと思いながら、自己を洞察しています。

このセッションは、来年は特別レッスン化したいなと思います。
実は、気になっているのに、いい感じで向き合えていない感情を丁寧に扱っていく。

1回完結のレッスンです。
明るい道を歩く方が増えて欲しいと思っています。

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  • この記事を書いた人

羽利 泉(はりいずみ)

石川県金沢市でカウンセリングや「うつ・不安障害を治すマインドフルネスーひとりでできる自己洞察瞑想療法ー」の講座をしたり情報を発信している公認心理師(国家資格)・マインドフルネス瞑想療法士です。マインドフルネスの実践を通し、心身症状で悩む方のサポートをしています。