瞑想や呼吸法が継続できず、なかなか習慣化できません。どうしたらよいですか?(1)

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トレーナーの羽利です。

今日は、マインドフルネスの実践を習慣にしていくにはどうしたらよいのかを考えてみます。

「瞑想や呼吸法が継続できず、なかなか習慣化できません。どうしたらよいですか?」と聞かれたら、

「自分で考えてください」というのが、本音です。

もどかしいでしょうね、私も最初の2ヶ月ぐらいはそんな感じでした。

さて、継続に悩まれる皆さんに最初に確認しておきたいのは、下記の3点です。

1)なぜ「マインドフルネス」の実践をしてみようと思ったのでしょうか?
2)それは「マインドフルネス」でなければ実現できないことなのでしょうか?
3)そして、今はどんな取り組みをしていますか?

2)については、ご自身の判断は難しいかもしれませんが、少なくとも「マインドフルネスで、自分を変えたい」と思っている方にとって、今1度、思いを巡らせてみてはいかがかと思う問いです。

では、さらにマインドフルネスを習慣化していく上で、2つの問いを追加しながら、今回のテーマについて書いていきます。

マインドフルネスは、あなたにとって「魔法の道具」ですか?

2014年あたりから、マインドフルネスはマスコミで広く紹介されるようになりました。

特に2016年はNHKスペシャル「キラーストレス」で紹介されて、「マインドフルネス」が一気に注目されました(本にもなりました)。

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キラーストレスを見て、結構、手軽にできると思った方もいらっしゃるかもしれません。

「簡単にできそう」という惹きつけは普及のプロセスの最初の段階では必要です。

しかし、いざやってみると、1人だけではそわそわしてなかなか続かない、それどころか毎日やろうと思っても、時間が取れない。

マインドフルネスの継続の習慣は、自分の外側に「道具」があるのではなく、あくまで「自分」が器になって、自分で新しい習慣を、試行錯誤で生み出していくものです。

「その試行錯誤はが面倒なので、手っ取り早く教えてください」という方が、いらっしゃいます。

しかし、「答えを自分の外から得よう」としていると、自分の内側を見ることができないという方もいらっしゃるように私には見えます。

確かに、ヒントは欲しい。だから、書籍としてまとめられている「自己洞察瞑想法」のテキストを使っているのです。

自己洞察瞑想法をマスターし、願いを叶えていく人は、他の情報に左右されず、この1冊を徹底してやっています。

支援者としても、頭が下がる実践態度です。

ずっと外に答えを求めていると、自分の内側に注意を向けたマインドフルネスの実践からは、離れていきます。

その状態で、続けていくのは、葛藤をともないますが、それでも「そのうち何かつかめるだろう」と実践し続けるうちに、本当に何かがつかめてくる、

案外、そんなものなんじゃないかなと思います。

魔法の道具は、「自分に楽観的であること」と「自分に対しての粘り強さ」なのかも。

知識があれば満足ですか?

一方で、

マインドフルネスに関する本を何冊も読んだり、インターネットで情報を検索したり、「知識」に囚われ、頭でわかってからではないと「実践」ができないという「思い込み」を持っていることもあって、「実践」が後回しになってしまう方もいます。

ニワトリが先か、卵が先かのような話になりますが、マインドフルネスに関して言うなら、知識は参考にはなりますが、まずは実践ありきです。

知識は、人によっては、新しい疑問を起こし、そして芋づる式に知識を追いかけてしまうこともあるかもしれません。

禅宗の1つである臨済宗では、公案と言う問答の中で「知識」や「思考」に囚われると「喝!」とやれられてしまいます。

そこで、反論が予想されるのは、

「マインドフルネスって宗教と関係ないんですよね?」

と言う切り返しなんですが、

特定の宗教を信仰するかどうかは関係はありません。

ちょっと脱線します。

これは、私の考えなのですが、

多くの宗教が、瞑想や念仏、祈祷、生活の中での集中や慈悲を重んじており、それが科学と結びついて、東洋・西洋関係なく、マインドフルネス瞑想が広がった経緯からすると、無理に宗教との関係を断ち切って技法単体を取り出して実践したいなら、

自律訓練法でもいいし、その他の呼吸法(例:丹田呼吸法・ヨガの呼吸法)でもいいし、何もマインドフルネス瞑想であっても、なくてもいいんじゃないですか?

って思うわけです。

ただ、どうしても北陸マインドフルネスセンターでは、禅の思想・西田哲学を切り離して考えないというスタンスを取っておりますので、興味関心が違うクライアントさんとは、見ている方向が違うため、すれ違いが起きる可能性もあるなと日々感じています。

脱線しましたが、元に戻します。

お釈迦様の時代に比べれば、莫大な情報量が流通する現代社会です。

「実践の中で、疑問に感じたことを、自分で積極的に解消する時には、知識を当てにするな!」というのは酷な話です。

ですから、知識と行動を統合していく「知行合一」で良いのではないかというのが私の持論です。

それが東洋的な思想に基づくものでもあるのです。

では、マインドフルネスには関心はあるけど情報収集もしていない、実践もしていない、

ただ、自分には何か役に立つはず、だから「気になっている」という方には何が起きているのでしょう?

人それぞれ、理由は異なるのですが、私が支援の中で、感じてきたことを次回は書いてみたいと思います。

続く

  • この記事を書いた人

羽利 泉(はりいずみ)

石川県金沢市でカウンセリングや「うつ・不安障害を治すマインドフルネスーひとりでできる自己洞察瞑想療法ー」の講座をしたり情報を発信している公認心理師(国家資格)・マインドフルネス瞑想療法士です。マインドフルネスの実践を通し、心身症状で悩む方のサポートをしています。