トレーナーの羽利です。
北陸マインドフルネスセンターでの自己洞察瞑想療法(以下SIMT)の10ヶ月のセッションを終えられたクライアントさんが体験談をお寄せくださいました。
同じように苦しまれている方の助けになればとのことでお申し出いただき、ありがたく掲載させていただきます。
後編では、私からコメントをつけさせていただきました。
目次
マインドフルネスを実践し、よりよく生きることをためらわない ー前編ー
桜 真一(さくら しんいち)(ペンネーム)
40代:男性 セッション期間:2017年1月〜12月
(掲載されている写真はご本人ではなく、イメージ写真です)
本体験談は、日本マインドフルネス精神療法協会発刊「マインドフルネス精神療法 第4号」に掲載されます。
要約
9年にわたる睡眠障害の影響で、仕事や家族関係がうまくいかない日が続いていた。
マインドフルネスを実践し、自己を観察し、意志的に行動が管理できるようになり、楽しめることが格段に増えた。
不満足な仕事や家族関係の悪化を引き起こす「本音」に気づいてからは、自分が本当に願う方向へと自分を立て直すことができ、心理的な余裕ができた。
意思決定、夫婦の関係の質が良くなり、自分の願いを叶え、精一杯生きたいと思うようになった。
自己洞察瞑想法に辿り着いた経緯
私は、2008年から睡眠障害、特に中途覚醒に悩み、睡眠薬や抗不安薬を飲んだり、時々減らしてみたりしていました。
しかし、はっきりと症状が良くなることはなく、非常につらく、睡眠上の問題が、昼間の眠気、だるさ、思考、判断、決断に悪影響を及ぼしていると感じていました。
不調を抱えたまま、結婚をし、新生活がスタートしましたが、妻との考え方や行動のスタイルの違いがストレスになり、2人の生活はギクシャクしがちでした。
そのような状況でしたので、私が生業としている株式投資の方も芳しくなく「この先も仕事として続けていくことは出来るだろうか?」と悩み、
色々と解決方法を捜し求めているうちに、金沢にもマインドフルネスを教えている人がいることを知りました。
以前からマインドフルネスのことは何となく知っていて、大田先生の本も2冊買っていましたが、一通り読んだだけでなかなか実践できずにいました。
そこで、藁にもすがる思いで北陸マインドフルネスセンターのホームページにアクセスして事前面談を申し込みました。
自己洞察瞑想法の実践とその経過と
最初の試練
セッション1~2の頃、家の外の工事の音を「うるさい」と感じ、2ヶ月くらい呼吸に集中できず、瞑想時間が延びずに焦っていました。
そこで月に2回ほど日曜日に金沢市にある大乗寺の坐禅会に参加してみました。
坐禅会は1回40分の坐禅を2回やるので、時間の感覚がつかめ、他人と一緒に座っていても40分は集中できることに手応えを感じることができました。
やがて、次第に自分や環境に対しての「評価・判断」や衝動的にやめるという行為が減り、瞑想が苦でなり、徐々に瞑想時間が延びていきました。
セッション4あたりからは30分、40分という日も多くなってきて、生活の中に溶け込んできていると実感できるようになりました。
直感に従い行動する
ちょうどその頃から、生活に変化が現れ始めました。
春頃からは、今まではプランターでやっていていた野菜作りを畑でやりたいと感じ始めていたところ、妻の実家の畑を借りられることになりました。
そして、野菜作りの楽しさに目覚めて、株式市場が引けてからウキウキしながら畑に直行するようになりました。
畑作業の中では、苗を植える、収穫する、雑草を抜くなど目の前の作業中は「日常生活の中での傾注観察」の良き練習となり、作業に集中することもできました。
そして、野菜の苗や種を植えたり世話をしたり収穫することが楽しくてしょうがないと思えるようになってきました。
自己洞察瞑想法の課題の1つでもある運動では、今までできなかったことにチャレンジしたくなり、水泳を始めました。
息継ぎができず25mもまともに泳げなかったのが、からだの動きに注意を向けて真剣に練習したら25mプール10往復500mくらいは泳げるようにもなり、一生懸命やることによって上達していくことに喜びを感じるようになってきました。
また、若い頃から人間関係にも悩んできましたが、「自分にマイナスの影響を与えていると感じていた人」も「今ここ」にはおらず、自分が作った妄想であると知り、やがて気にならなくなっていきました。
自分から離れていくように感じられ、自分の見方が変われば世界が変わってくることを確信しました。
逆に今まで30年近く疎遠だった中学の同級生との交流が復活してきました。
地元の祭りに誘われて、参加したりして交流を楽しむことができたことに純粋に驚きを感じたりもしました。
行動中の自分の観察からの大きな気づき
行動時自己洞察法は、妻と会話している時、皿を洗っている時など随時やるようにしていきました。
10ヶ月のセッションを折り返し、6セッションで本音の観察に取り組んでいる時に大きな気づきがありました。
以前は妻との間の些細な出来事にも苛立ち、かといって思っていることを妻にも言えず、どんどんストレスが溜まっていくばかりでした。
しかし、それは他者へ「こうあるべき」という自分の行動基準(本音)をあてがいすぎていたことが原因と気づきました。
本音の観察によって自分は行動基準系の本音が強くでる傾向があるとわかったのです。
以前はずっと我慢して限界点にきてから、不満や批判を抑制できず感情的に言ってしまい、後で後悔するということを繰り返していました。
しかし、自己を観察することに慣れてくると、不満も批判もあるがままに見て、その上でなるべく小さいうちに冷静に要望や提案を伝える努力ができるようになってきました。
やがて、徐々に妻との距離感が上手くとれるようになっていき、仕事が忙しい妻をいたわったり労ったりする心理的余裕が出てきました。
そして、妻との食事や旅行の時間は、私にとって本当に楽しくかけがいのないものになりました。
毎日の生活の中では多少の意見の相違はありますが、そういう時には行動基準や善悪判断の本音を観察するように心掛けています。
今では妻と結婚して本当に良かったと感謝できるようになってきました。
意思決定の質・仕事の質の変化
セッション3・4では、衝動的なトレードの前後に起きていた感情の連鎖(予期不安)についても、朝一番の呼吸法で価値・願いを確認することにより、価値実現の妨げになるような衝動的な行動が除々に減ってきました。
そして本音を観察する呼吸法では、その原因には機会損失を恐れるという感情があり、利益に対する過度な執着と損失に対する過度な恐怖心が見えてきて、それでは冷静な判断、決断が出来ないということにも気付きました。
あらためて、全ての機会で利益を出し続けることは不可能だと再認識して、自分がやり易い相場環境の時だけやった方がパフォーマンスは良いということも2017年を振り返ってみて実感しました。
相場では「買う、売る」、以外に「休む」ということも大事だと言われています。
特に成績が良くない時ほど頑張らなくてはと焦って非合理的な思考によるトレードをしてしまって、さらに悪循環に陥るということも多く経験してきました。
それらに「今ここ」で気づき、意志的決意、行動により戦略的に休むということも積極的に取り入れていきたいと思っています。
それから、担当のマインドフルネス瞑想療法士との個人レッスン中に「感情的になっている時は呼吸を意識できていますか?」と問われ、できていないことに気付いて「呼吸に注意を向ける」というラベルシールをPCモニターの角に張ってみました。
そのような呼吸を意識する訓練をしているうちに、通常なら動揺しているような局面でも、冷静に判断できたという成功体験が増えていきました。
徐々に衝動的なトレードが減り、以前のように日々の株価の変動に一喜一憂したり、思ったような成果がでない日に夕方になるとぐったりして寝込んだりするようなことも減ってきました。
症状との付き合い方を変える
今までは15時に株取引が終わったらぐったりしてベッドで横になることが多かったのですが、自分でも随分とアクティブな人間に変わってきたなと想える変化の時期を経験しました。
そして、知らないうちに、睡眠障害に関しては、約9年間なんらかの睡眠薬や抗不安薬を飲んでいましたが、今ではもう薬に頼りたいとは思わなくなりました。
かといって、私の主な症状であった中途覚醒が全く無くなった訳でなく、現在も以前よりはだいぶ良くなったとはいえ、毎日朝までぐっすり眠れるというわけではありません。
中途覚醒後なかなか眠れない時は一旦布団から出て呼吸法をしたり、また布団の中で呼吸に注意を向けたりすることによって、また眠れたという事も経験していく内に中途覚醒に対して過剰に心配することが少しずつ減ってきました。
そして、中途覚醒が頻繁にあった翌日でも意外と眠気もなく、体調もそう悪くない事も多いことに気付きました。
それは睡眠状態と翌日の体調を日々観察記録してみてわかったことです。
今思うと、強い思い込みから睡眠に関して過剰に反応して、さらに予期不安が強くなるということが影響していたのではないかと思っています。
そういうわけで、あんまり眠れなかったと感じた日でも、案外と頭もスッキリしており、株取引で大事な思考状態、判断力、決断力にも支障がなく、以前のような衝動的行動による自己売買ルール無視のトレードが確実に減ってきていることを実感しています。
そして、本当に疲れた時は意志的に休養をとり、休む時、行動する時を自分の意思で選択しているのだと思えるようになりました。
それが仕事、生活全般におけるストレスの軽減に繋がっていると思います。
精一杯生きる
私にとって重要なテーマである死についてですが、小学校低学年の頃のある夜に寝床の中でふと死(自己の消滅)について考え「今考えているこの自分の意識というものは死んだら肉体と共にこの世から消えてしまうのか?」と思うと、これはとんでもなく恐ろしいことだと子供ながらに恐怖におびえた経験があります。
今でも時々夜寝る前に死について考えて怖くなることはありますが、この頃では、「命あるものはいつか必ず死ぬ」という自分の意思で変えられないことは、受け入れようと思えるようになってきました。
そしてこの世に生まれてきたことに感謝しながら、自分も自分の周りの人も幸せになって、最後も感謝して死んでいけたらいいなと思います。