トレーナーの羽利です。
今年も昨年に引き続き石川県で行われた自由自在塾。
「自由自在塾〜禅とゆかりの深い金澤から〜」が終了しました。
ありがたいことに、昨年に続いて晴天に恵まれた2泊3日でした。
自由自在塾とは?
自由自在塾は、それぞれのコミュニティの中で影響力のある「成長を続けるリーダーたちの変容の旅」と言えるのではないでしょうか?
経営コンサルタントとして実に多くのリーダーたちの内省と変容に関わってきた小森谷浩志さんが、2013年から始められました。
私は、山梨県塩山市「フフ山梨」で開催された第1回自由自在塾に参加し、第2回目の石川県能登町、第3回目の石川県金沢市・津幡町は、企画・事務局・ファシリテーターを兼務しています。
「自由自在」と「十牛図」
自由自在というのは、仏教の意味に基づき、「他」をよりどころにしたり、支配されるのではなく、「自」をよりどころとして在るという意味であり、自分以外のものごとを自由自在に扱えるようにするという意味とは異なります。
自由自在塾の象徴は、何と言っても「十牛図」でしょう。
十牛図は、悟りに至るプロセスを牛と牛飼いをモチーフに描いた「禅画」です。
イラストレーターの小川けんいち氏によって現代風に描かれた十牛図は、色彩が鮮やかで、遊び心と人物と牛の躍動感がたまりません。
そして、それぞれの絵が何を意味しているのか、それぞれのプロセスへの興味・関心とともに自分を重ね合わせたくなります。
禅の悟りに至るプロセスってなんだか厳しそうな修行をイメージする方もいらっしゃるかもしれませんが、現代社会を生きる私たちにとって、
自由自在塾に参加されるみなさんが、長年生きてきた中で、他者との関係の中で作られ、強化されてきた自他を苦しめてしまうような「作られた自己」に気づき、向き合い、格闘しながらも、受容し、
またそれぞれの現場で、他者とともに生き生きと「本来の自己」で生きていくことを叶える「自分に帰る場所」なんじゃないかなと思っています。
「制限するパターン」を「解放するパターン」へと書き換える
自分にとって過去には役に立ったかもしれないけど、今は役に立たない、あるいは障害になっているパターンは、
その多くが偏った思考・感情・感覚・行動が相まって形成されていているものの、1人ではなかなか書き換えることが難しかったりします。
自分がうまくいかない現状を、人に開示いやさらけ出すことができないまま抱え込んでいたり、自分以外の人や環境のせいにして、一時的には気晴らしできても、「制限するパターン」は未解決のままであるがゆえに、反芻しがちです。
それを、この場に縁あって集まったメンバーが、お互いに問い合い、共感し、対話を重ねながら、小森谷さんのリードで、体にしっくりくるまで、制限や抵抗に向き合い、解放への一歩を踏み出します。
というのが、自由自在塾の大きな方向性であり、各回、小森谷さんが試行錯誤を重ねたワークを織り込んでくださいます。
「苦しみ」にあたたかくあること
上記のようなプロセスですから、自分との攻防(?)に涙してしまうメンバーも当然います。
当然のことながら、1人の参加者として私自身も涙するということがある訳ですが、最近はその涙が、つらさとか不甲斐なさとか後悔から流れ出ているという感じが全くないことに気づきます。
本来の自分をないがしろにしていたことへお詫びの要素は若干あるとしても、本来の自分に帰ってきた安堵や祝福のような感じが体に残っています。
そして、小森谷さんが、一緒になってメンバーの制限・抵抗・解放を見出し、完全に言葉にしていくことは難しいけれども極限まで私たちが扱えるような「言葉」を探すことを手伝ってくださるその時の「妥協のなさ」は、厳しいのではなくむしろあたたかいのです。
まるで静かに見守る産婆のように・・・
相手の変容を信じ、幸福を願い、人として、そして1人のプロフェッショナルとしての慈悲の実践の姿です。
そのようなあり方から今年も学びつつ、また来年の企画を練っていきたいと思います。
次回は、2018年5月25日〜27日です。北陸での開催をお願いしてみる所存です。
前回に続いて、今回も北陸からの参加者はいませんでした。
来年は、ぜひ北陸からも、この深い学びの場に参加なさる方が増えていくように精一杯活動していきたいと思います。
ご参加くださったみなさん、本当にありがとうございました。
続いては、行程を紹介します。