トレーナーの羽利です。
北陸マインドフルネスセンターでの自己洞察瞑想療法(以下SIMT)の8ヶ月のセッションを終えられたクライアントさんが体験談をお寄せくださいました。
同じように苦しまれている方の助けになればとのことでお申し出いただき、ありがたく掲載させていただきます。
後編では、私からコメントをつけさせていただきました。
目次
マインドフルネスを実践し、主体的に生きる ー前編ー
吉岡 吾郎(ペンネーム)
30代:男性 セッション期間:2018年9月~2019年4月
本体験談は、日本マインドフルネス精神療法協会発刊「マインドフルネス精神療法 第6号」に掲載されます。
要約
仕事で緊張を強いられる場面、趣味で続けているバレーボールの試合前にゲホゲホと息苦しく咳きこむことが増えていた。
また、職場、バレーボールの場でも自分だけが仕事をしていると不満を感じていた。
仕事、バレーボールでいらいらしている時には妻と大喧嘩をし、家事、育児にも手がかかり余裕のない生活を送っていた。
職場、バレーボールの場でも役割を果たしてはいるが、本心ではもっと他の人に仕事をしてほしいと怒りさえも抱いていた。
何かを変えたいと思い、マインドフルネスに興味を持ち、自己洞察瞑想療法の門をたたいた。
実践していく中でこうあらなければならないという固定観念、他者との比較による劣等感から必要以上に頑張ってしまうという行動パターンになっていることに気づいた。
自分のもやもやしている正体がわかり始めた時には自然とゲホゲホとする回数も減っていった。
自己洞察瞑想法に辿り着いた経緯
私は緊張をしやすく、そういったときには呼吸がしづらくなり、「ゲホゲホ」と咳きこんでしまうという症状に悩んでいました。
小学生の頃からバレーボールの試合前にはその症状が出ることがありましたが、2-3年前から何でもない時でも「ゲホゲホ」と症状が出ることがあり、頻度も増えていました。
仕事に行く道中でも、仕事の中で不安な内容の時には症状が出ていました。
精神的なものが関係しているとは思っていましたが、何をどうしたらよいかはわからず不安な日々を送っていました。
そんな時に書店で「マインドフルネス」というものを知り、本を見ながら実践することにしました。
ただ、やり方が合っているのかもわからず、やる気のある日はやるが、やらない日はやりませんでした。
「ゲホゲホ」の症状は変わらず成果が出ていませんでした。
独学ではなかなか難しいなと感じていた時にインターネットで北陸マインドフルネスセンターのことを知り、集団セッションを体験できるということなので軽い気持ちで行ってみようと参加したのが始まりでした。
何回か通っていた時にマインドフルネス瞑想療法士の羽利さんから8ヶ月間の自己洞察瞑想療法を開催することを教えていただき、どうせやるなら「みっちり」やろうと学ぶことを決めました。
自己洞察瞑想療法の実践とその経過
不安と嫌悪と怒りの中で
自己洞察瞑想療法を始めた頃の私は、やりたくないことに対する嫌悪、嫌いな人に対する怒りを抱えていました。
仕事で苦手だと感じている内容のものは不安に感じ、うまくやらないといけないと焦り、「ゲホゲホ」と症状が出ていました。
背景には仕事をうまくできない時があり、先輩にそれを激しく叱責されたのが原因だと思います。
その先輩は嫌悪の対象となり、私に「言うことを言うわりには自分は仕事をしない」と怒りを感じていました。
また、仕事、家事、育児と忙しいのに半ば強引にバレーボールチームの代表になってしまい余計に負担を感じていました。
今から思うと、これほど余裕のない状況でもバレーボールチームの代表になったのは「劣等感」からだと思います。
仕事では怒られたり、うまくできなかったりと劣等感を感じていました。
しかし、ひとたびバレーボールになると自分で言うのもお恥ずかしいですがチームのエースで得点を量産していました。私が唯一、優越感を味わえる場であったのです。
そこで代表をやることで自分はできるんだと思い込みたかったのかもしれません。
しかし、状況は不安の中でやることも多く、さらに不安は膨らむ一方で苦しい状況でした。
このときの私は「なんでこんなにも頑張っているのに認めてもらえないんだ」バレーボールのチームのメンバーに対しても「私はこんなにも頑張っているのになぜ他の人は頑張らないのだ」と不満ばかりでした。
そして、この状況を妻に共感してもらいたくて話すのですが、「それならバレーボールをやめたらいいでしょ」と共感してもらえず、それもストレスに感じていました。
気づき
第1セッションでは日常生活の中で思考をしたかどうかという実践項目があります。
この実践を通して、いかに自分が思考しているかがわかりました。
そして、嫌なことを思考しているときは嫌な感情になっていることに気づきました。
「思考」と名前付けをして呼吸に注意を向ける。
第2セッションでこれを学び、嫌なこと、不快なことをひきづらないようになってきました。もちろん嫌なこと、不快なことはたくさん起きました。
仕事でも「職場の先輩は大変な仕事ばかり私に押し付けてくる」、バレーボールチームでは「役割を分担でやろうと決めたのに全然やってくれない」と他者に対して怒り狂っていました。
ゲホゲホの症状も出ていました。ただ、「今、自分は不安に感じているんだなぁ」「この人に対して嫌悪を抱いている」と洞察を続けていきました。
行動のパターンを変える
第3セッションでは他者と何かやり取りをして、そこで感情が生まれ、嫌なことや不快なことを思い出してさらに不快な感情を大きくしてしまっていることを教えてもらいました。
妻と会話をして自分の苦労がわかってもらえなくていらいらする。そして思い出してまた同じようにいらいらしてしまう。
この反応パターンの洞察を実践しました。
そして不快モードに入りそうになったら今、行っている行動に集中したり、呼吸に意識を向けることを実践しました。
この実践をしていく中でどういう風に自分はいらいらしているのかがわかり、また嫌なことを思い出しても以前よりも切り替えられるようになってきました。
第4セッションで連鎖分析を学び、妻との喧嘩でこの一言を一発浴びせたら、さらに相手は血が昇り余計に喧嘩は激しくなるぞと自分の言動によって相手の行動を予測し、不必要にぶつからないようになってきました。
もちろん、感情のままに衝動的に喧嘩をしてしまうこともありましたが、後で反省して、仲直りをするという建設的な対処をしていきました。
本音と慈悲、受容
自己洞察瞑想療法の大枠を学び、慣れてきた頃でしたが第6、7セッションが一番実践するのがきつかったと記憶しています。
職場の先輩に対する怒りや、苦手意識のある仕事に対する不安はどこからきているのか、バレーボールチームのメンバーに対する落胆はどこからきているのか、それらの本音に向き合うのはかなりの労力が要りました。
仕事でうまくいっていないことが劣等感を生み「でも俺はバレーボールは上手い」と慢心し、できないメンバーを優越感の目で見て自分を保ち、職場の先輩やチームメイトにいらいらばかりしていました。
必要以上にバレーボールに頑張っていました。そして家庭をあまり省みることができず妻ともうまくいかない時期もありました。
劣等感の本音から慢心へと発展し、自分の行動基準で他者を裁き、嫌悪、怒りとつながっていたように思います。
最後の解決法は「慈悲」でした。第7セッションで羽利さんから教えてもらいました。
この言葉を聞いたとき、衝撃が走りました。
私は相手を慈しみ、憐れむどころかいつも自分の行動基準で裁いて怒ってばかりいるなと思いました。
でも、そんな自分も受容する。羽利さんからできている面に目を向けていいとアドバイスを受け、良い面も見るように心がけました。職場の先輩も私がわからないときは教えてくれたし、バレーボールのチームメイトも率先して役割を分担してくれることもありました。
もしかしたら職場の先輩は自分の仕事で精一杯なのかもしれないし、バレーボールのチームメイトにも役割を断る権利だってあります。
そうは言っても日常の中で嫌なことは起きますし、不快なことに頭が縛られることもありました。
それでもじたばたせず不快の真ん中でただ自己を観察し、忍耐しました。実践を繰り返すうちに受容のスキルも向上していったように思います。