最近、私の友人の間でも「瞑想」を取り入れている人が増えてきました。
しかし、出会う方々、やっている瞑想のスタイルが違うなんだなぁと感じます。
その人にあった瞑想を、自分なりに実践していくのがいいですよね。
しかし、自己洞察瞑想療法の呼吸法は精神疾患からの回復のために開発されています。
ですから、どうせやるならその目的が果たせるように実践していくことが回復への「近道」になります。
仏道の修行のための仏教瞑想をヒントに開発はされていますが、出家を目指した修行「瞑想」と区別される必要があると考えます。
ストレスを感じる状況から一旦離れれば、一時的な癒しを得ること、脳神経システムの鎮静にはつながると思いますが、あくまで不快な感情・思考によってダメージを受けた脳の働き:「意志作用」を回復させて「自覚」の訓練をしていくことが大切です。
そして、「出家」ではなく、自分の暮らす日常において、他者と関わりながら、様々な思惑が錯綜する「現代」を生きて行くことを念頭において「呼吸法(瞑想)」を行うことが必要です。
自己洞察瞑想療法においては、マインドフルネスの実践を仏教の修行やリラクゼーション方法と区別して継続していくために「何を」「どのように」行うかを明確にしておくのがいいでしょう。
弁証法的行動療法(DBT)の開発者であるアメリカの心理学者マーシャ・リネハンはマインドフルネスの実践は、「何を」のスキルと「どのように」のスキルから構成されるとしています。
私たちがマインドフルネスの実践でやっていること(「何を」)には、
まず「五感や心の働きによって自分の外側・内側の営みを観察し、気づくこと」があります。
私たちの日常生活では、油断すると「思考」や「感情」による頭の中でおしゃべりが知らぬ間に始まってしまっていて、やろうとしていた行動から離れてしまうことが意外にも多いものです。
そこで、それらの「内容」には深く入り込まず、自分の中の意識の「作用」に簡単な名前だけをつけて(ラベルづけ)扱いやすいように姿をハッキリさせたら、あとはさらっと水にながすようにして、本来今ここで自分がやろうとしている価値のある行動に戻ります。
他の瞑想では、このことをあまり強調しないものがあると思いますが、これは自己洞察瞑想療法の「根幹」である「自己洞察」の基本です。(このことは、今後も何度も記事に書いて行くと思います)
このようなマインドフルネスの実践は、坐って行う瞑想時間のみで行うのではなく、日常生活のあらゆる場面に実践の機会があり、坐って行う呼吸法の他に「行動時自己洞察」としてその回数をカウントします。
そうしているうちに、不快な感情や思考内容と自分が長時間一体化しないように自分を冷静にモニタリングすることができるようになると、病気を苦にしている自分を自分で回復に導けるようになっていくのです。
なかなか長続きしないという方は、ご相談ください。
始めた人からよくなっていきます。