マインドフルネスが「目指している」のはストレスケアなんですか?:禅語「全機現」で生きること

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最近、話題になっている、マインドフルネスって何のためなんだろう?

多分、このホームページにいらっしゃったことがある方なら少なからず脳裏をよぎったことがあるのではないでしょうか?

マインドフルネスがストレスケアのためのものかと尋ねられたら、答えは「No」でしょう。

禅語に学ぶ

「全機現」という禅語があります。
こちらは、お世話になっているビジネスコーチ株式会社のエグゼクティブコーチの吉田有さんから教わりました。

調べたところ、
「全機現とは、天地宇宙のありとあらゆる存在に、それぞれ一切の作用・働きがあますところなく発現しているさま」と理解しました。

勝手ながら、もっと平たく言うと、「自分の生命力・能力を精一杯発揮して、他者と共に生きること」と、いうことができるんじゃないかなぁと。

でも、「そういうこと目指しています!」ってやる気満々なモードとか、「何とかしてこうなりたいんです」っていう欲張りなモードで実践するのも違うし、そうあれない自分を卑下するモードも、さらには自罰のモードなんかも、どうなんだろう?

囚われない、囚われないことにも囚われない。
なんだか混乱しそうですが、考えるのも一旦ストップ

本来の自分が感じられる生き方・感じられない生き方

私たちのからだ・命は、とてもパワフルです。

心臓の1つに注目しても、拍動し、血管を通して脈々と我々の活動に必要な酸素や養分を循環させています。
そして様々な体の組織が連携しながら、複雑な運動、精神活動を遂行しています。

それなのに健康状態や時には精神状態によっては

思うように動けない、思うように考えることができない「もどかしさ」を感じることが起きがちです。

なんだか気づいたら考え事ばかりしていて、ここに自分がいる感じがしない。
そして、目の前のことに集中したいのに、別のことで頭が振り回されている。

「何か本来の自分とは違う」

そんな違和感を持った人の中でも、情報感度の高い方が、マインドフルネスに興味を持っていらっしゃるのかなぁなんて感じます。(そう見えるのは、私がそうだったから、そして今もそうだからというのが理由なんでしょうけど)

「本来の自分に帰る」

ムムム、本来の自分ってなんだろう?

北陸マインドフルネスセンターでは、自己洞察瞑想法を通して、自己を複層的に理解し、本来の自分に歩み寄っていきます。

とは言っても、実際には、本来の自己に降りていく、本来の自己が立ち上がってるという双方向のアプローチのように感じます。

こんな風に書くと

「なんか怪しい」とか「宗教っぽい」とか思う方もいると思いますが、背景にあるのは「実践」「科学」「哲学」です。

思い込みや決めつけ、先入観というのは、ご自身の経験や価値観でそう思うことに何らかのメリットがあるから自動的に維持されていますが、

ある意味「思考停止」の状態で、あまりに強すぎると、時代が変わり、状況が変わり、自分も成長し、変わっていくことを迫られているにもかかわらず、人が変わっていく入り口「気づき」を手にすることが難しくなります。

浅い自己と内奥の自己

そのような自己は、自己洞察瞑想法では「浅い自己」と位置づけられ、もっと深い内奥の本来の自己からはかけ離れたものです。

そんなお話も、マインドフルネスへの理解が深まってきた頃には、どんどんしてみたいなと思います。

未だに「瞑想」というと「オウム心理教か?」とか「宗教か?」と言われることもあるのですが、トレーナーとしては、心の中では「このご時世に、またまたご冗談を。。。」とつぶやいて、苦笑することに止め、現状、無駄な抵抗はしておりません(汗)

まだまだマインドフルネスのことが理解されるには時間がかかりそうですが、ゆっくりやっていきます。

ではレッスンでお会いしましょう。

  • この記事を書いた人

羽利 泉(はりいずみ)

石川県金沢市でカウンセリングや「うつ・不安障害を治すマインドフルネスーひとりでできる自己洞察瞑想療法ー」の講座をしたり情報を発信している公認心理師(国家資格)・マインドフルネス瞑想療法士です。マインドフルネスの実践を通し、心身症状で悩む方のサポートをしています。