マインドフルネス瞑想の途中で不快な思考を止められない時に思い出してほしいこと

自己洞察瞑想療法の最初は、オリエンテーション(入門講座)から始めるのですが、その中で主に練習するのは、呼吸法(マインドフルネス瞑想)です。

呼吸に注意を向けながらも、見る働きや聞く働き、思考や感情といった働きなどが常に入れ替わり立ち替わり働きますのでそれらを観察します。

抱えている症状や障害にもよりますが、約1〜2ヶ月かけて、まずは座って数分から15分程度、呼吸法が持続できるよう習慣を作っていきます。

しかし、最初はなかなか集中できなくて「ソワソワ」してしまうというのは「多くの方が通る道」というものです。

その道を穏やかに乗り越えていくには何が秘訣なのかを自分の経験をもとに書いてみたいと思います。

思考しないことを「理想」と勘違いしないこと

脳の習性を思い出す

私たちがぼんやりとしているような時にでも、私たちの脳は働いています。

常に何かしらの危機に備えていたり、過去の活動で得た情報を整理して、新たな創造のために脳は働き続ける「習性」を持っています。(デフォルト・モード・ネットワーク)

脳は、基本的に、働きたい「働き者」なのですね。

しかし、働きすぎるとやはり脳も疲労を起こしますので、それを中断させ、休んでもらう関わりとして注目されたのがマインドフルネス瞑想でしたね。

 

思考を嫌悪しても中断できない

私は、最初に呼吸法(マインドフルネス瞑想)fを始めた頃、思考を中断することに何度も挫折しそうになりました。

その頃の私は「思考を悪い」ものとして考えていたり、「思考が始まらないように呼吸だけに集中する」といった「頑な」な態度を取っていたように思うのです。

そして「思考が始まっていることになかなか気づけないこと」に対して「ネガティブな評価」をしていました。(例:「あー、もー、全然気がつかない」「思考が始まって時間が経ってしか気づけないなんてダメだなあ」)

この「評価」自体が、マインドフルネスの定義とは対極にあるため、いつまでもマインドフルネスの獲得にいたりませんでした。

思考に気づくには「思考」の働きを観る必要がある

呼吸法(マインドフルネス瞑想)を始めたばかりの頃、不要な思考をしていたことに後になって気づくことが多々生じます。

これも「誰もが必ず通る道」と言えます。とてももどかしいですよね。

しかし、

「気づけただけでもラッキー、明日は気づくまでの時間を短縮しよう!」と考える人と

「あー、また考えてしまっていた。全然ダメだな、進歩がない」と考える人では

どちらが、順調に呼吸法を習慣化できるでしょう。

やはり、前者ですよね。

呼吸法(マインドフルネス瞑想)は訓練です。

訓練には経験が必要なのです。まずは、実践機会を確保することを大切に考えていきましょう。

意識される内容に「受動的・受容的」になる

呼吸法(マインドフルネス瞑想)の時には、呼吸だけに注意を向けているわけではありませんね。

目を開けていますから、必然的に見たものは意識されますし、聴覚が働いていれば、生活音が必然的に意識されます。

「見る働き」や「聞く働き」は、特に努力せずとも働きます。

情動や感情、思考なども無意識に始まるのは、脳の習性でもあるのでまずは「受動的」に受け容れていきましょう。

 

「受動的」に意識したものを現在進行形で「能動的」に観る

「受動的に意識したものを能動的に観る」って、

何だか自分で書いても不思議な文章だなと思うのですが、実際に呼吸法(マインドフルネス瞑想)の時にやっていることって、そういうことなんじゃないかと思うのです。

例えば、別に聞こうと思っていた訳ではないけど、エアコンの空調音が「ブーン」と聞こえてきたというのは特段注意を向けていた訳ではないのですがもしかしたら「受動的」に意識されるかもしれません。(注意が向かない時は聞こえないかもしれません)

注意を向け意図的に観察しようとしていると「聞く働き」が機能しているなあ、と気づきます。

同じように考えると、

「あー、呼吸法が終わったら夕飯作らないとな」「明日、どんな服を着て外出しようかな?」「今月はAmazonのセールで何を買おうかな?」

というような脳のおしゃべり=思考は、脳の習性によって自動的に始まったりする思考だとしても、そのような脳のおしゃべりを始まるのは「思考」という働きがあるためでです。

注意を向けて意図的に観察しようとしていると、それはただ、「思考の働き」が機能しているんだなあと、気づきます。

別に嫌悪することなくただ観察すればいいんだなという「知識」と「意志」を持ち、

自分の意識に何が起きているのかに注意を向けて意図的に観察する練習を積み重ねていくとf気づくようになります。

私の経験では、思考を嫌悪してしまうと、意識できることをより分けてしまい、能動的に注意を向けようという働きが不自然なものとなり、全体的な気づきが乏しくなってしまうということがありました。

「何であっても意識されていいのだ」「ウェルカム」「どんとこい」と、肯定的な態度でいると、やがて肯定的でも否定的でもない中立的な構えができあがってくれば、

思考内容は中断しようと闘う相手ではなく、観察可能な意識の現象に過ぎないと思えるようになり、

気負いもなく、苦行でも、そして訓練でもなく、生活の一部の時間に溶け込んでいくのではないかと感じています。

とは言え、読んでいても経験がないと実感はしづらいかもしれません。

注意を「外」から「内」に向ける練習を

考えていることに気づくということは、自分の認知を認知するということです。

それは、心理学ではメタ認知と言い、実際に、非常に高度な認知能力です。

(自己洞察瞑想療法では哲学の観点から「意志作用」という用語が使用されますが、意志作用はメタ認知よりも幅広い意味を持ちます)

そのため、すぐに向上させられるものではなく、必要な脳神経細胞を活性するには、コツコツと訓練し続fける必要があるのではないかと思うのです。

さらに、感覚受容器によって自分の外の刺激を意識し、感覚の働きを認知するのと異なり、形状を伴わない感情や思考といった内的な刺激を認知するのは難しいものです。

「注意を向ける」ことから「気づく」というのはもう少し複雑なプロセスをたどることになると思いますが、

まずは、自分が何に「注意」を向けているのかということを明確にして実践することから始めてみると良いかもしれませんね。

まとめ

思考が起きることを嫌悪しても、思考に気づくことはできません。

自己洞察瞑想療法の呼吸法(マインドフルネス瞑想)は思考しないことが目的ではなく、自分が意識できる内容を受動的・受容的に観て、それらを生み出す心の働きを能動的に観察していきます。

心理学的には「メタ認知」という高度な働きを訓練しているものですから、いきなり数日で完璧にマスターできるものと考えずに、呼吸法を継続させながら、体験の中で強化していきましょう。

特に、自分の外にある刺激に比べて、内なる刺激は注意がそもそも向きにくいものです。注意を向けるという明確な意志を持って臨みましょう。




  • この記事を書いた人

羽利 泉(はりいずみ)

石川県金沢市でカウンセリングや「うつ・不安障害を治すマインドフルネスーひとりでできる自己洞察瞑想療法ー」の講座をしたり情報を発信している公認心理師(国家資格)・マインドフルネス瞑想療法士です。マインドフルネスの実践を通し、心身症状で悩む方のサポートをしています。