受容とは私たちが思っているよりも意志的な「受け身」:第7セッション「包む心・受容の心得」ーその1ー

今回は、自己洞察瞑想療法のテキスト:うつ・不安障害を治すマインドフルネス―ひとりでできる「自己洞察瞑想療法」の第7セッションの実践について書いてみます。

第7セッションは、第6セッションと並んで自己洞察瞑想療法のとても重要なセッションの1つです。

第7セッションのテーマは「不快なことを受け容れる」です。

不快な症状、不快な環境、不快な感情、不快な気候、不快なあの人の言動などなど、私たちが感じる不快さにどのように対処するか、

「不快なことを受け容れる」とは「言うは易し」ですが、「平然」と行うのは事柄によっては難しいかもしれません(私自身もまだまだだなぁと思うことはしょっちゅうあります)。

復習!不快な思考を中断するには

自己洞察瞑想療法の6セッションまでは、自分の「心の場所」の観察が中心になっているはずです。

だいたい半年ぐらいトレーニングすると、

「あ、今、不愉快なことを考えているな」
「あ、また、症状のことを嫌っているな」
「あ、また、明日の仕事の会議での発表で緊張しているな」
「あ、また、会社で悪口を言われていると言う妄想に囚われていたな」

などということに気づき、それらの思考が発展していくのを中断することができます。

「中断する」ためには、これまでのセッションで学んできた様々な実践法が使えます。

一例ではありますが、

・思考から感覚や行動に注意を向ける
・思考を中断して何らかの行動をする
・不快な思考を建設的な思考に切り替える

そして
・呼吸に注意を向ける(自己洞察瞑想療法の「王道」とも言える実践法)

などがありました。

力技(ちからわざ)から軽やかな実践への「鍵」となるもの

ところが、症状があるときはやっぱり不快だしつらいし、苦手なあの人のことはやっぱり苦手だし、人前で発表することが苦手だった自分にとってやっぱり発表することは脅威だし、

それを中断できるようになるには、それ相応の反復練習と修羅場での実戦練習が必要なのです。

長年、それができずに苦しんでいたのに、翌朝、目覚めたら、いとも簡単にできる自分に変身していたってことはちょっと考えにくいかもしれません(人にもよりますし、不快な対象がゼロになれば話は別かも)。

だから、この反復練習をいかに「楽に」できるようになるか、その鍵を握るのは「受容」というスキルではないかと思うのです。

「受容できるか」「受容できないか」の葛藤を乗り越える

「受容するしかない」を「意志的な受容」へ

うつ・不安障害を治すマインドフルネス―ひとりでできる「自己洞察瞑想療法」の136ページポイント3「包む心・受容の心得」を見てみます。

ここには3種類の受容について示されています。

ここを読んでいくと、自己洞察瞑想療法で「受容」と扱われるものは、意志的受容とは、無力さで、仕方なく行われるのではなく、主体的で建設的な「行為(行わないことを含む)」であるということがわかります。

例えば、

頑張って勉強したのに志望校に入れなかったり、資格試験に落ちてしまったという出来事に対して、受け容れ難く、ショックで数日、動くのも嫌になってしまったということが起きたとします。

また、自分や家族の難しい病気や死などへの失意や悲しみも多くの方にとっては受け容れ難いことだと思います。

しかし、最終的には「時間はかかっても」やがて自分の人生において価値ある次の目標に向けての行動や、

失意や悲しみを否定せずに、少しでもよくなるための治療や日常生活をより良いものに維持できるように行動を選択していくことになります。

「受容」を支える「価値」

意志的な受容は、自分が願う「方向」「価値」が自分ではっきりしていることが支えになります。

例えば、自分の親や義理の親が、子供(孫)に対して食べさせたくないものを与える、与えたくないおもちゃを与えるということがあるとします。

・これらをしょうがないと諦めて何も言わない
・親や義理親を全否定して感情的に「だから与えないで!」とけんか腰になる
・それ以外の対処法を取る

かは、どんな家族のあり方を描いているかによって異なってきます。

「家族みんなが笑顔で健康で」とか「子供(孫)の面倒を見てくれる親に感謝と敬いの気持ちを持って」などと大事にする「価値」が明確であれば、

例え、親や義理の親の態度に抵抗があっても、「それはそれとして」価値を叶える建設的な「言葉」「行動」を「意志的に試行錯誤」はできるのです。

具体的には、

・して欲しくないこと
・その理由
・代わりにしてほしいこと
・相手の意向を聴くなど

筋道を立てて、粘り強くわかってもらえるように発信していく必要があるかもしれません。

・自分一人で孤軍奮闘しない

など、手を変え、品を変えということになるかもしれません。

その努力は、すんなりと伝わらず、悶々とすることもあるかもしれませんが、他人の言動は、私たちの言動の影響を少なからず受けます。

休み休みでも、あきらめずに試行錯誤し、自分の言動を意志的に変えていくことが、少なからず必要なのだと思います。

「受容できるかできないか」より「受容するかしないか」

ここまで書いてみて、自分で気づいたことは、私が「それは受容できない」と思ってきたことの大半は「今はまだ受容できない」とか「受容したくない」という思いの方が勝っていたなということです。

そこには、「その時」は、起きている出来事への嫌悪や善悪判断、この先の不安、無力感、罪悪感、自己否定、恥などなどが渦巻いており、自分の価値・願いを見失い、到底、受容できるコンディションにはなかったということに気づきます。

このようなことが起きるのは私だけではないのではないかと思います(思いたい!)。

だから日々、自分にとって少しでも価値ある人生の実現のために、マインドフルネス(今、ここに気づく)とアクセプタンス(受容)を実践しているのだろうなと感じ入っている次第です。

ぜひ、引き続き一緒に練習していきましょう!

 

 

  • この記事を書いた人

羽利 泉(はりいずみ)

石川県金沢市でカウンセリングや「うつ・不安障害を治すマインドフルネスーひとりでできる自己洞察瞑想療法ー」の講座をしたり情報を発信している公認心理師(国家資格)・マインドフルネス瞑想療法士です。マインドフルネスの実践を通し、心身症状で悩む方のサポートをしています。